先日、プロ野球のドラフト会議があり、甲子園で活躍した選手たちがプロの球団と続々と氏名されていた。
確かに彼らは一人一人の選手はすごい努力をしてきたし能力も高い故、プロ野球からお呼びがかかる選手にまで登り詰めることができたのであろう。

しかし、もし野球で飯を食べていく市場がなければ、彼らはただの勉強ができない子である。
そんなことを思いながらも、自分の学生時代を回顧してみる。
天才とバカの分かれ目とその要因
私は学生時代、勉強ができない子供の家庭教師を頼まれたことがある。
私自身、勉強はできる方だったので、何を習ってもすぐに理解し、簡単に暗記してしまう。
英語の例文だろうが、数学の数式だろうが、3度読めば暗記できてしまう。

それが普通だと思っていたのだが、勉強ができない子は、本当に勉強ができない。
教科書を見ると頭がパニックになり、パニックになるから勉強が楽しくない。
やる気も起こらない。
その悪循環から、勉強ができない。
当時はなぜそうなるのか分からなかったが、大人になった今ははっきり分かる。
彼は「脳の一部に欠陥があり、文字列や数式を暗記したり、それら抽象的な概念を理解する能力が著しく劣っている」のである。
しかし彼はその一方で、高い社交性を持ち、スポーツは大変よくできた。
人間の脳は人それぞれ大きさが微妙に違うものの、だいたい容量は決まっている。
だから何か大きな才能があれば、その能力をひきだす場所が平均以上を占め、そのため他の場所が少なくなってしまう。
そこで勉強ができない障害がでてくる。
野球選手になれる子は、もともと才能があり、大人がそれを見出し、本人もそれを自覚し、その道に進めることができた子だけなのだ。
逆に才能がないのに野球をやらされた子は、「野球ができない子」、「努力がたりない子」として仲間や先生からイジメられ、地獄のような学生時代を過ごすことになる。
また才能があっても、本人が野球を嫌いだったり、まわりが彼の才能を見出さなかった子や、親が「勉強至上主義」で、絶対に医者にするとか官僚にするとか、本人の才能無視で自分の夢を押しつけた子は「勉強ができない子」となり、これまた「努力が足りない」と本人のせいにされイジメられる。
多くの人は天才を羨むが、天才とは多くの条件が重なった時、はじめて幸福になれるのである。
ところが天才を目指すと、あるいは子供に目指させると、たいていダメ人間として差別される側になる。
それは人間の脳の容量が限られているため、何かに秀でると他の何かが犠牲になり、人としてのバランスが悪いからである。
凡人至上主義

凡人はそこそこに勉強もでき、そしてさらに、そこそこに運動もでき、どこに居ても目立つことはないが、どんな環境でもそれほど嫌な思いをしないで生きていける。
野球をやらされても甲子園には行けないが、平均的にはできるのでまわりからイジメられることはない。
たとえ親が「勉強至上主義」でも、平均的にはできるのでそこまでイジメられない。
平均的にでき、目立つことはないが、イジメられることもない。
どんな環境でも平均的に適応し、普通の人生を歩む。
人生のリスクを考えれば、凡人に生まれ育てられるのが一番幸福である。