現代の栄養学は、科学的なようで、案外そうではない。
食材に含まれる成分を、総て栄養として吸収できるとは限らないからだ。
例えば牛乳のカルシウムは、この国の成人の多くが分解吸収する酵素を欠くために下痢の原因となると言うし、 昆布や若布、海苔は、欧州人には分解吸収できないと言う。
栄養学は、こう言った長年の食文化を踏まえているだろうか?
あるいは、幕末明治初期に東北旅行に出掛けた英国領事夫妻。
お抱え人力車夫が、毎日100キロ超を走るのに、食べ物は山盛り玄米と漬物少々という粗食を気の毒に思ったそうだ。
そこで自分達と同じ肉料理を食べさせたところ、40キロも走れずに疲れ果ててしまった。なので、「やはり粗食に戻してほしい」との車夫の懇願を受け容れたところ、程なく、やすやすと100キロ超を駆け抜けられるようになったと言う。
これなどは、偏食になるだろうが、事の顛末については、栄養学では説明つくまい。
好きなものしか食べない理由
最近は稀薄になりつつあるが、糸引き納豆は関東ローカル。
関西方面では浜納豆などが主流で、糸引きは腐っていると敬遠する世代などもある。
また、沖縄の発酵豆腐は、未だに全国的には敬遠する者が少なくあるまい。
それに、イナゴやバッタの佃煮はどうか。
くさやの干物はどうか。
食わず嫌いもあるだろう。
生まれ育った地域の食文化も。
だからと言って、これを偏食とは断じる事は出来まい。
偏食家の定義

この国では、あまり意識されてはいないが、宗教上の禁忌食材もある。
イスラム教の豚、やハラル認証のない食材。
ヒンドゥー教の牛、ユダヤ教の甲殻類や貝類、イカやタコ、ナマコなど、・
このほかにも、肉類などを禁忌とするヴェジタリアンやビーガニストもいる。
宗教とは無関係に、特定食材を禁忌とする地域もある。
こう言った禁忌を「偏食」とは言えないだろう。
このほかにも、近年注目されている食物アレルギーがある。
アレルゲンを含む食材を食べない事は、偏食ではあるまい。
例えば大豆アレルギーの者が、醤油を調味料に使う料理は口にできないし、卵アレルギーのものが、マヨネーズやマヨネーズ風のドレッシングを使った物は食べられない。
過去に経験した強い恐怖と特定食材が結びつけば、これも口にはし難いだろう。
いずれもわがままなどではなく、未知の食材に対する恐怖、信仰、健康や命を護るため、忌まわしい記憶を甦らさないためのものだ。
これらを十把ひとからげにして、【偏食】と考えるのは酷だと思う。
ただし、理由がそのいずれでもないならば、偏食だろう。
ちなみに、私自身の食わず嫌いは、バッタやイナゴ、芋虫などなの虫類の他、馬刺し、カツオのタタキ、ステーキのウェルダン以外など。
野菜でも、呪文みたいな名前の野菜、里芋の茎、芋がらなど。
あるいは大抵は下痢となる大半の牛乳(何故か低温殺菌のものは問題ない)も。
偏食と言われれば偏食だろう。
だが、これはどうしようもあるまいではないか。