衣笠祥雄氏がカープの監督に就任しなかったその理由は、長い間、謎のヴェールに包まれていた。
彼自身にしか真実はわからないが、黄泉の国へ逝かれてしまった。
僕はあの人のことが野球人としてよりも、人格者として大好きだった。
デッドボールでも怒らず、ミスジャッジにも激高せず、絵に書いたようなスポーツマンだった。
不振中にホームランを打った時に受けたインタビューで
「やっと当たった」と放った一言が忘れられない
衣笠祥雄氏が、監督をやらなかった真相

さて、広島カープの監督についてだが、山本浩二が2回もやった事を考えると、
やっぱり一度は衣笠カープを見てみたかった。
私の親父は広島でタクシーの運転手をやっていた。
そのせいでカープ関係の方を頻繁に乗せていたという。
もちろん衣笠さんも何度も乗車されて、現役時代から人当たりが良く気さくにお話しをしてくれてたらしい。
引退後に乗車された時に、衣笠さんの大ファンだった親父が
「なんでカープの監督をしてくれんのですか?」と聞いた。
・・・すると、
「国民栄誉賞を頂いたでしょう、監督になったら乱闘とか色々と国民栄誉賞にそぐわない事が出来んでしょう、中々難しいんですよ、、、」
とおっしゃったと親父が教えてくれた。
本心かどうかはわからないが、衣笠さん本人が言われたことだから私はそれが監督に就任されなかった真相だと今でも思っている。
真面目な衣笠さんらしい考えだと思った。
これの逆パターンが、福本豊氏の「立ちション出来なくなるから国民栄誉賞受賞を辞退した」という話はかなり有名(笑)。
福本豊氏が以前ラジオで、国民栄誉賞を辞退した理由のひとつに、
「衣笠さんは賞を貰う前は京都弁か広島弁だったのに、貰ってから標準語を喋るようになった。それが自分には無理」
と言っていた。
・・・衣笠さん、色々気を遣っていたんだろうな。
松井秀喜氏もそうだけど、まだ監督とかできる年齢で国民栄誉賞貰うと、監督をやるには重荷だろう。
真面目な人ほどね。
国民の誉れたれと思うと、変な事はできない。
乱闘とか、監督退場になるくらいの抗議とかできない絶対にできないもんなー。
王さんは、国民栄誉賞は王さんのために最初に作られた賞だから、そこはパイオニアとして代表監督もチーム監督もやってくれたけど、後の人ほどプレッシャーがどんどんのしかかってくるように思う。
まぁ、これは野球界に限る話だけど。
もっとも、衣笠氏が横浜から監督オファーあったのは有名な話。
他球団の考えは、おそらくコーチとしてオファーする選択肢はなかったのでしょう。
ただ、長嶋さんからのコーチの誘いを断ったことも、つと有名。
確かに、衣笠氏の巨人のユニフォームは想像できない。
まぁ選手にとっては良かったのかも、、、彼が監督になったら、良い意味でも悪い意味でも休めなくなるしな(笑)。
さて、
衣笠氏と言えばTBSラジオでの『鉄人ミュージック』を個人的に楽しく聴かせて頂いていた。
彼の洋楽に対する豊富な知識に脱帽していたのが記憶に新しい。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。
ちなみに、私がジャズを聴くようになったのも、衣笠氏がジャズ好きだったのを知ったからである。
人生のあらゆる面で、私への影響を強く与えてくだったのだ。